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日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた6- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた6-
保険会社の対応1

事故当日、もちろん自分の保険会社に連絡した。加害者の保険会社にも連絡させた。それですぐに加害者の保険会社から連絡がきた。担当が二人して、一人はクルマ担当、もう一人は怪我担当とのことであった。窓口が二つあるのは先方の都合なので、一つに絞るよう要求したのだが、無理だという。国内大手保険会社ではあるのだが、応対は今一つ。なぜ被害者が加害者の代理である保険会社の土俵に上がってやらねばならないのだ?これは納得がいかない。弁護士に丸投げしようかとも思ったのだが、せっかくヤバい事故を生き延びたのだから、すこしは自分でやってみようと決めた。危なくなったら弁護士にバトンタッチすれば何とかなるだろう。

そうだ、その前に警察の事を書いておこう。警察の方の事故現場での対応は、なかなか親切かつ適切であり、加害者を叱り、私のクルマと体の状況を心配し、それでも仕事へ行くと言う私をやさしく送り出してくれた。ありがとう。その後の手続きの書類をくれ、すぐにディーラーで修理を受けることを強く勧めてくれた。同日病院に行き、整形外科を受診して診断書をもらい、それを所管の警察に送って物損を人身事故に切り替えてもらった。この際、現場でお会いした担当の方がおられなかったので、郵送すればそれだけで良いのか、どうやれば確認が取れるのか、電話を取ってくれた警察官に伺ったのだが、その方の応対がぞんざいで、“診断書来れば人身だよ人身!”“なにがわかんないんだ!”“まちがいないよ、わかった?わかったね!”といった、いわゆるオイコラ式の対応をされた。こちらは首や腰の疼痛を我慢しながら電話しているのに、まったく納得のいかない応対で、電話の後は痛みがさらに増したような気がした。さすがに腹立たしかった。オレが何か悪い事をしたのか?しかしともかく、書類を送ることにした。保険屋さんにもその旨伝えた。

加害者の保険会社のクルマ担当の人はぼんやりとした昼行燈のような方で(アンドン君)、怪我担当の人は、強いアクセントのある、当たりが柔らかい、感じのいい人だった(トウホク君)。そのような体制で交渉が始まった。しかしこちらはむちうちで苦しみながら仕事に行かねばならぬ身の上で、自分で交渉をしなければいけないのはどうも納得がいかない。加害者を怒鳴りつけてやろうかと何度も考えた。しかしおそらくそれは得策ではないのだろう。結局職場のお抱え弁護士さん複数名に相談してみた。彼の話では、、、

むち打ちの場合、例えば6ヵ月通院したとすると、医療費以外に専門家が対応した場合は○○万円程度の慰謝料、というように判例があるので、交渉はそれを目安にすること、また、クルマの方は、修理費を基に計算された車両価格の査定減が支払われることなど、様々な具体的な指導をしていただいた。どこに相談してどうやって話を持って行けばよいのか、具体的な資料を提示しながら、指導を受けた。彼の話では、弁護士に丸投げするような大きな事例ではないし、普通にやれば当事者がやっても結果はほとんどかわらないので、相談には乗るから一つ自分でやってみてはどうか、自分でやった方が”お得”ですよ、とやんわり言われた。仕事をしたくないのか?もっともうかる仕事に専念したいのか?まあそれはいい。それでしばらく自分でやってみることにした。どうなることやら。

日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた7- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた7-
むちうちの検査

MRIはこれまでなんとなく避けてきた。自分の脳を撮影して、腫瘍が出来ていたり、知らない間に脳梗塞が起きて〝ス“が入っていたりすることを目の当たりにすることが怖かったからだ。死んでしまうまでは“知らぬが仏“で生きていきたいものだ。しかし今回の“オカマ事故”で、首と腰を痛めた私は、実際の神経の損傷を評価するためにもMRIを受けておくべきだと思った。それでやってみることにした。本当のことを言えば、私は巨人なので、狭いところがものすごく嫌いなのだ。しかししかたがないので、必要に迫られて悩みつつもやってみることにした。さて、どうなることやら。

朝方病院に到着し、なんだか楽しそうにしているお年寄りたちに交じって受付を済ませる。病院がお年寄りの社交場というのはどうも本当のようだ。機械からぺろりと出てきた紙切れを持ち、MRIの検査に向かう。時間まで暫く待たされ、予約時間になるや否や受付のオネイサンに書類を提出して指示を待つ。すぐに中に入れと言う。それでおそるおそるMRIが設置されている部屋に足を踏み入れる。これは大きなでんでん虫だな。白い大きなちくわのようなスキャンのわきに、人が乗ると思われる細くて長いベッドのようなものが設置されている。技師さんに、着替えのための小部屋に導かれた。

身に付けた金属を全てはずし、検査のための服装に着替えさせられる。ほとんど裸んぼうのような恰好なのでなんだか心もとない。私の検査を担当してくれた技師さんはメガネをかけた中年の女性で、低く小さな声で話しながら、てきぱきと手続きを進めていく。こちらは結構緊張しているのだが、あちらはアタリマエだが完全に冷静だ。ものを考える暇を与えらぬままに、どんどんMRIの中に入っていくベッドというかステージというか検査台の上に乗せられてしまった。私はまな板の上の鯉そのものだ。

今回は首の撮影をするので、MRIの機械の真ん中に空いている直径70-80センチくらい、長さ1メートルは優にあるトンネルの真ん中に、頭を突っ込めという。つまり大きなちくわ状の機械の中に、体を半分以上入れた状態で、10-20分間過ごさなくてはならないのだ。これは考えようによっては拷問だ。検査中に叫びだしたり、動き出したりする人が結構いると聞いている。しかしそれも当然のように思われる。“叫びだしたりする人がいるんでせうね、、、”とおずおずと尋ねてみると、技師さんは興味のかけらも示さず、機械的に“目をつぶった方がらくですよ、、”と言い放つ。それはそうだろう。“苦しくなったら握ってください”と、詳しい説明もなく、なんだかボールのようなものを握らされた。それからぐりぐりと、大きな頭に小さなヘッドフォンをかぶせられた。しかし技師さんの声は聞こえるようになっている。MRIのことはよく知っているつもりだったが、知っているのとやってみるのとは大違いだ。大変なことになった、、、、おそらくほとんどの人がそう思うのではないだろうか、この時の私と同じような状況になれば。

それで、頭を枕のようなもののくぼみに入れてしっかりと固定し、さらにその上からあごや首を動かせないように今度は顔の前面から枠のようなもので固定された。だめだ、終わりだ、どうにもならない、、、あきらめ感が漂う。もうどうにでもしてくれ。自暴自棄となった。それでもどんどんステージは上に上がっていき、その後体が少しずつちくわの中に吸い込まれていく、、、、問答無用だ。ここであろうことか、私は目を開けてしまった。目の前に真っ白い機械の壁が見え、息苦しくなり、ついちくわに触ってしまった。やばい、これはまずい。どんどん息が苦しくなってきたぞ。これがパニックというやつか?“目をつぶった方がらくですよー”そうだ、目をつぶろう。これで壁は見えない、しかしそれはアタリマエだ。目をつぶったんだから。それでも気持ちの上でのつよい圧迫感は急速に減っていく。おお、落ち着いてきたぞ。たすかったようだ。叫んだり暴れたりしないでもよさそうだ。でもこれ結構怖いな。やっぱり。それでも委細構わず、検査は続いていく。

横になったまま次の展開を待っていると、頭の横で“シュオン シュオン シュオン”とただ事ならない大きさの、規則的な音がしている。大した音ではないようにも思われたが、ヘッドフォンが無ければかなりの騒音なのだろうと想像した。それでそのまま不安な気持ちのまま数分待たされることに。この間、何度も目をあけそうになった。目の前に壁があり、ちくわの中に深く入っているアタマは、当然だがすこしも動かすことが出来ない。壁をみてしまったら、、、また苦しくなってしまうかもしれない。そうに違いない。それは避けたい。ああ、苦しくなってきたぞ。やばいやばい。

それでどうしたかというと、自律訓練法?をやってみた。本当にやばいときに使えるかどうかいいチャンスだ。気持ちの中に余裕があることに自分で驚いた。自律訓練法?っていうのは、、、“あなたの頭の後ろには、青空が広がっています””おーきな おーきな青空です”“さあ、呼吸が楽になってきました”“ここで”おーーーきく深呼吸です、、、“と自分に本気で語りかけて自分を落ち着かせる、というやつだ。実際に声を出す必要はないが、心の中を誰かにのぞかれたら、ヒジョーに恥ずかしい状況なのは間違いない。そいつをまったなしのやばい状況のなかで試してみたわけだ。実際にやってみると、信じられないことだが、なぜか頭の上の方に大きく広い、白い天井のようなもの、というかそのようなものが存在している感覚がポッカリと出現し、その辺りに広い空間が広がっているような状況が意識された。それで、実際に身を置いている狭苦しいちくわの穴ような場所ではなく、広い空間に身を置いたような、なんというかすがすがしいような気持ちとなり、落ち着きを取り戻すことが出来た。不思議だが本当だ。自分の心のコントロールに成功したようだ。なんでもやってみるものだ。

“3分くらいうるさくなりマース”と、女性の声とともに検査が始まった。ここは是非、若いかわいい女性の声でお願いしたいところだ。しかしそんなことを言ったら何をされるかわからないので、とても言えない。何しろこちらは裸んぼうでちくわのなかにアタマを突っ込んでいて完全に無防備なのだ。それでおとなしくしていると、“シュオン シュオン シュオン”にくわえて、“ゴワン ゴワン ゴワン”というものすごい音が始まり、検査開始となったらしい。心拍数が高まる。それで“シュオン ゴワン”というものすごい音を聞いていると、あら不思議、首や背中のあたりの筋肉がピクピクと律動的に動き出した。これは磁力のせいなのか、緊張しているためなのか?そんなことを考えながら検査を続けた。というか続けさせられた。自分で出来ることは何もないし、動くわけにはいかないので、いくら落ち着きを取り戻したといっても、やっぱり結構なストレスだ。いい塩梅に、もうどうにでもして、という気分にはならず、頭の中だけが無意味に忙しく活動している。”ゴワン ゴワン“の次には”ガン ガン ガン“、そして”ガリガリー ガリガリー“というのをやらされた。各々おそらく5分ずつぐらいだったと思うのだが、永遠に続くかのように感じられた。やっぱりこれは拷問だよ。

この間、幸いにして頭の上の方の“白い天井”は小さくなったり消えてしまったりすることは無く、比較的“快適”に検査を続けることが出来た。結局3-4種類の検査を受けたらしいのだが、その間あろうことか眠り込んでしまい、寝返りまでうとうとしたようだ。それで一部の検査が無効となってしまい、なんということだろう、やり直すことになってしまった。そのためさらに数分のスキャンが続く。しかしこのころまでには検査になんとか慣れたようで、ものすごく眠くなって起きているのがしんどいくらいだった。磁気の為なのかどうなのか、だんだん体も暖かくなってきて、最後の頃には全身がホカホカして気分が良くなってきた。

何とか(今回の記事は 何とか が多い)無事に検査を終えることが出来たのだが、この検査はあまり人にお勧めできないな、と思った。今度は腰のMRIを取らなくてはいけないかもしれない。憂鬱で血圧が上がりそうだ、、、。

日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた8‐ [クルマ]

日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた8‐
整体院に通ってみる

首と腰が痛い。めちゃめちゃ痛い。時に判断力が鈍ってしまうほどの深刻さだ。家人は事故以降私は怒りっぽくなっているという。

そんな状態ではあるが、世の中は私を甘やかしてはくれない。一歩外に出れば複数の“敵”がおり、当然私の事情など勘案してくれるはずもなく、ふざけた出来事の連続だ。しかし子分をたくさん持つ身のつらさ、公の場で“ぶち切れる”わけにはいかない。24時間体に痛みがあるというのはこんなにつらいものなのか。私の担当の整形外科のDr.は麻薬に類する薬を飲めというが、納得がいかないのでお断りした。麻薬なんて嫌だ。しかし痛い。腰が痛い、首が痛い。痛いイタイいたい。

おそらくそのほうが営業上良いということなのか、同情してくれたためなのか、保険会社のトウホク君から整骨院への通院を勧められた。なにか先方にとってうまみがあるのかもしれない。しかしこんな風に人を疑ってばかりいるのは心が病んでいる証拠だ。こんな時はとりあえず勧められるままにやってみるというのも悪くない生き方だと思う。それでものすごく無理をして、時間をひねりだして整体院に行ってみることにした。しかし通院前後で仕事の量が減るわけではないので、結局無理をすることになってしまうのだが、、、しかしそれでも行ってみた。何事も経験だ。いいことだってわるいことだって貴重な自分の人生だ。味わって楽しむべきだ、、、、なんていってはみるが、本当は痛みのために余裕がないのだ。

それで思い切って整体院に足を運んでみた。なんだかコンビニみたいな整体院で、開放的で清潔。患者さんに女の子が多いのは意外だった。不潔感がないのは好印象。しかしみな気持ちよさそうにマッサージを受けている、、、。期待していいのだろうか?でもなんだか若いおねいちゃんたちがうっとりとしたかおをしておやじにもんでもらっているのはどうも、、、まあそれはいいかこの際。デブで巨体で運動をやってきた私をもみほぐせる人などはなかなかいないので、これまでに温泉旅行のマッサージさんをふくめ、マッサージを受けたことは、、、、ない。全くないように思う。歌舞伎町方面のやつも、、、やっぱりない、、、と思う。マッサージといえば、機嫌の良いときの家人がふざけ半分に腰に乗ってくれるくらいだ。マッサージって、、、、どんななのか?

これは交通事故なので、保険がきくそうで、整体院の先生は保険会社と整体院が連絡を取ってなんだかやりあっている。それはそうだろう、お互いに商売なのだ。整体院はできるだけお金のかかる治療を施術したいが、保険会社は逆であり、あまりお金は使いたくないだろう。当然そうだ。しかしそんなことはどうでもいい。今すぐやってくれ押してくれもんでくれ頼む。誰がやってくれるの?遠くにいる。小柄なオネイサンではけだもののような私をもみほぐすのは多分無理だ。機械とか使うのかも?しかしそれらは杞憂であった。わたしの担当の先生は、大柄な腕っぷりの強そうな中年男性だ。いいぞ。期待できるかも。女性の先生たちよすまん許してくれ。だってオレあまり余裕がないんだ、、、。

いろいろと問診され、書類を書かされ、そのあとなんだかむち打ちの痛みの評価をしているようだ。当然“痛みは強く、長引いている”という評価だ。残念だが本当だ。それでベッド(施術台)にうつ伏せになり、痛いところを聞かれた。もんだり押したりして確かめつつだ。しかし面白いことに、どこをもまれてもどこを押されてもヒジョーに気持ちが良かった。しかし首の一部と、腰の一部をぐいっ通されたときは痛みで死ぬかと思ったけれど。ついみっともない声を上げてしまった。それで、“やはりむち打ちでしょう”ということになり、何やら怪しい機械を乗せて首と背中を温めてくれた。これは炬燵を背負っているような感じで、ぽかぽかと温かく、ついつい眠くなってしまった。気持ちがいい。あまたの中が白くなっていく。その後ずいぶん経ってからマッサージが始まったのだが、大柄のおじさんの手のひらやこぶしは私の大きく分厚い背中にピッタリであり、マッサージはヒジョーにヒジョーに気持ち良かった。グヘグヘと笑ってしまうほどだ。いままでどうしてやらなかったのだろう。しかし先生は私の姿勢の乱れを指摘し、全身の筋肉ががちがちになっていると驚いていた。“おお、こここれは、、、骨、、、、じゃあない、、、筋肉だ。筋肉ですよ!がちがちですよ!”“わかりますか?ここんとこ、、、、こんなに、、、、こんなですよ!”“ここんとこぱんぱんじゃないっすか”“できるだけ毎日来てください”“姿勢直さないと治りが遅いですよ”“よろしいですね?”とご指導いただいた。この間私は“うー”“うおー”と小声で叫んでよだれを垂らすのみであり、まともな会話は全くできなかった。頭の中は桃源郷を漂っていた。こんな喜びも世の中にはあるのね、、、。

先生によれば、事故の場合保険会社は3か月程度しか治療院の代金を出したがらないため、現行の保険制度をよく理解して、できるだけ高頻度に通うよう指導してくれた。そのほうが治りもよいそうな、、、、。

これで本質的な問題の解決に向かうかどうか、疑問がないわけではない。しかし少なくとも数時間、注射も服薬もしないのに首と腰の痛みを忘れることができた。久しぶりに健康というやつを、短時間ではあったが味わうことができた。Love 整体院!とりあえず素晴らしい。ありがとう先生。

人のことばかりではなく、家人のことも自分のことも、これからは少しくらいは考えて生きていこうと思った。

ともあれ、今後もなんとか時間を作って、指導されて通りにちょこちょこと整体院い通いたいものだ、、、、。

To be continued


■4月某日 今日も”按摩さん”に行こうと思っていたのに、日曜日はお休みだって!

日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた9‐ [クルマ]

日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた9‐
整体院は極楽なのか?

時間がない。しかし頸が痛い腰が痛い。痛みはとっても勤勉で、24時間続いている。頸は本当にやばい感じ。頭痛も間欠的に続いているため、何とか少しでもこの痛みから逃れられないか、と祈るような気持ちで日々を過ごしている。それでついついブログを更新してしまうわけだ。

通い始めた整体院の先生は“集中的に通え”という。商売なのか?好意なのか?おそらく両方だろうと思われる。それでとるものもとりあえず、時間をひねり出して通院している。乗り換えの駅で走ったりして無理して時間をつくっている。

整体院でびっくりしたのは、若い女性の患者さんが多いことだ。だって”按摩さん”だろ?お年寄りの行くところだろ?と、ほんの数か月前まで過剰に健康だった私は思うわけだ。しかし、あら不思議、整体院というのはオネイチャンたちがマグロのようにごろごろしてうなっているシュールな場所だったのだ。むくつけき筋骨隆々としたおじさんである先生たちからマッサージを受けながらオネイチャンたちはキャラキャラと笑っている。笑えるほど健康なのになぜ整体院?謎は深まるばかりだ。自分は”うー””ぐえー”とうなり声を出してマッサージに身を任せつつ、話を聞くとはなしに聞いている、というか、聞かされてしまう。目をつむって遠くなったり近くなったりする意識の中で、おとなりで横たわっているオネイチャンが運動の選手だったり、生理が重かったりすることを知ることになる。というかこれ、おかしくないか?まあ面白いからいいか。残念ながらお隣のオネイチャンのお姿を眺めて楽しむ余裕は全くない。本当だ。信じてくれ。

しかしいったん慣れてみると、マッサージというのはなかなかいいものだ。自分の体のどこにこんな感覚が残されていたのか?というほど新鮮な感覚を味わうことの連続だ。”ここんとこを少し引っ張りますねー”ゴキッ”ひえー”。”今度はこのあたりを押していきますガキッ”うわー”。みたいな感じ。筋肉をほぐした後に、首や腰をただ単純に押してもらうだけでそのあたりに鬱滞した血とかリンパとかが流れていくような気がする。大変気持ちがよろしい。巨大なおっさんがよだれを垂らしながら目をつむって”うー””グエー”などとうなっているのは人には見せられない状況ではあるが。残念ながら先生とのコミュニケーションはなかなか完全とはいかないため、”もう少しそこんとこをもっと”とか、”あと5センチ下”とか思うのだが、遠慮してしまってなかなか注文は付けられない。だからたいていは”もうちょっとやってくれよー”と、心を残して整骨院を去ることになるわけだ。それでも治療を受けた後、短時間ではあるが痛みを忘れることのできる数時間を手に入れることができる。これは素晴らしい、、、。整体院って極楽なのかも。少なくとも今のところそうだ。ありがたいことだ。足を向けて眠れないよ、ほんと。

事故に巻き込まれてしまったことを四の五の言っても仕方がない。加害者にはきっちり責任を取ってもらうけれどね。しかし事故も痛みも人生のうちだ。ほろ苦さを噛みしめつつ、この珍しくも気持ちのいい整骨院という体験を楽しんでしまおうと思う。

しかし精一杯生きていると、ものすごくドラマチックなことが次々に身の上に降りかかってくる。なんだかまるでディズニーランドにでもいるようだ。

西新宿 玄菜 せいろ おおもり 700円 [日本蕎麦]

西新宿 玄菜  せいろ おおもり 700円
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所用で西新宿に。ここはJRの駅からはかなり遠く、朝の散歩を楽しんだ。ごみごみとしてあまり整然とした印象は与えないが、人が多く、エネルギーを感じさせる街並みだ。一見小奇麗な街並みを見せるが、昭和の頃はもっとごみごみとしていたのだろうな、面白い街だったのだろうな、などと考えながらふらふら歩いた。

仕事に向かう途中に、良さそうなお蕎麦屋さんを見つけた。それで帰りがけにすかさずそこに戻ってお蕎麦時間を楽しむことにした。新宿には我が愛する“渡邉”があるのだが、そこまで歩く気にはならなかった、というのも正直あるのだけれど。さあ、凶と出るか吉と出るか、、、。

カウンターに座ってあたりを眺める。いわゆる“リーマン”風の方がグループで訪れて、ランチをとったり宴会に使ったりという、“蕎麦屋蕎麦屋”していないお蕎麦屋さんのようだ。耳をそばだてていると、どうも丼ものメインのランチが人気らしい。失敗したかも。
しかしめげずにいつもの せいろ しかも おおもりをお願いし、蕎麦茶をすすりながら待つ。おおもり 100円というのは良心的かも。店内は多少脂の匂いが染みついてはいるが、全体に清潔な印象。それで途中で日本酒をすすりながら待たせていただく作戦に変更した。極楽ごくらく。

ほどなく角盆に載せられた(清潔病者としてはもう少し綺麗に拭きあげてほしい)せいろ、蕎麦つゆをなみなみと注いだ蕎麦猪口に小皿を乗せて山葵と薬味を乗せるスタイル。お箸は袋にいれず、竹系のシンプルなものがそのまま出された。ちょっと珍しいかも。さて、と。

お蕎麦は細め、エッジが立った、星がほとんど見えないタイプのもの。一見してハリハリぽきぽきとした感じ。それは数本手繰ってみて確認、見た通りの茹で上がりだった。どうもお蕎麦をラーメンを茹でる金属のざるのようなもので茹でているらしい。文句はないがちょっと興ざめだ。しかしきちんと冷やされ、水もピシッと切られている。丁寧に調理されていることは間違いない。よしよし。

数本手繰ると、つなぎの濃いめの薫りに交じってマイルドなお蕎麦の薫り。悪くない。そしてコキコキとしたお蕎麦ののど越しを楽しむ。なかなかおいしいと思った。しかしファミレスのお料理のようで、まとまりはいいが突出した特徴がない。もう少し個性があってもいいかも、というのが正直な印象だ。手繰った際の”コキコキむちむち”、の、”むちむち”が少し足りない、と思うのだ。これで伝わるだろうか?伝わらないだろうな、、、。主観的には二八よりもっとつなぎが、と判断したのだが、Webによれば正しく二八とのことであった。

蕎麦つゆは緩めの江戸前、ただし醤油が勝ち、カツヲと味醂?的な甘さがバラバラになってしまっている。確かにおいしいのだが、もうすこし全体がなじんで角が取れているとなおよいと思った。さらし葱はさらしすぎで風味が飛んでおり、ひと手間加えた生山葵はなかなかいいものだった。

淡々とお蕎麦を手繰り、日本酒をすすりながら都会の午後のひと時を満喫した。最後に別仕立てのドロリ系の蕎麦湯。蕎麦猪口に残った蕎麦つゆを、本当は呑みたくないのだが、周りの目もあるので普通のやり方で全て呑んだ。普通においしく満足した。

このあたりにお勤めしている人たちに構人気があるお店のようで、リーマンの方々でお店がいっぱいになってしまったため、まったりくつろぐのはあきらめて早々にお店を後にした。ご馳走様でした。

意外だが、この辺りには面白そうなお蕎麦屋さんが数件あるようだ。次の機会が楽しみだ。しかしやっぱりたまには“渡邉”に行きたいな、、、。


良い;西新宿のごみごみした街並みの中にあるちょっと上品なお蕎麦屋さん。清潔感が漂っていてよい。
もっと良くなる;もう少しだけお蕎麦に個性があるとよいです。蕎麦つゆは、本文に記載した通りです。駅からのアクセスが悪いのは仕方がないかな?
また行く?;機会があれば
総評;西新宿の街中にあるちょっと上品なお蕎麦屋さん。お蕎麦屋さんというよりも定食や小宴会メインの和食屋さん、といった印象。清潔感が失われていないのが良い。
トイレ;未使用
駐車場;近くにコイン駐車場があるかな?

旧き善き日本をみた [雑文]

旧き善き日本をみた

電車に乗ることが多いのだが、私はあるときから、電車の席に座ることをやめた。体を甘やかさず、座って楽をしようとする自分を戒めることが目的だ。そう決めてから、電車に乗ることが楽しくなった。大量の本を購入して電車に乗る。できるだけ早く本の世界に没入すれば、電車はタイムマシンになる、、、まあ、運よく面白い本に出合うことができればの話だが。

それで、通勤電車の座席のない、比較的スペースに余裕のある部分に一人佇み、本の世界に没入していた。と、停車した駅で、ベビーカーに赤ん坊を乗せた、茶髪の夫婦モノが乗り込んできた。正直あまり感じの良くないひとたちであったが、まあ仕方がない、“どうぞ”とスペースを譲った。気を遣わせてしまうと意味がないので、隣の電車に私は移動した。少なくとも私はかつてお年寄りや妊婦さんに席を譲る時はそうしてきた。だって日本人だからねオレ。夫婦は私に何も言わず、当然のようにその場所でくつろいでいるようだ。まあそんなもんだ。

移動した私は、再び本の世界に没入してタイムマシンに乗っていたのだが、しばらくすると茶髪の比較的若い女性がてくてくと歩いてきて、私に“ありがとうございました”とほほ笑んで帰って行った。その場では意味が分からず、にっこり笑い返しておいたのだが、おお、そうか。あれは私が20-30分ほど前にスペースを譲ったお母さんではないか。

外見に惑わされてはいけない、日本にはまだ旧き善き時代の日本が残されているようだ。

その日は床に就くまで、気分が良かった。

日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた10‐ [クルマ]

日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた10‐
整体院はミラクルだ

その後時間を無理やりにでもひねりだして整体院に通っている。整体院では、腰や背中を温め、ほぐし、痛みがある部分をやさしくいたわりつつ背骨を伸ばしてくれる。やはり肩や腰、首や腕など、“めちゃくちゃ固く”なっているそうだ。まあそうだろう、だって24時間鎮痛剤を飲んでいてもなお痛いのだから当たり前だ。整体院の先生はがっちりした体格の男性が多い。私自身が巨人であるため、男性の大きな手に体をゆだねるのが安心だし、それがいいように思っていた。しかし必ずしもそうではない、という悪くない経験を最近した。

整体院には女性の先生も数人いて、主に女性の患者さんたちをケアしているようだ。若いオネイチャンは、やっぱり女性の整体師さんに体を揉みほぐしてもらうのがいいのだろう、そりゃあそうだろう。治療中に二人できゃあきゃあ言いながら盛り上がっているのは、はたで聞いていても楽しそうだ。ちょっとうらやましいかも。しかし自分は24時間苦痛と闘う身の上、でっかい男性の整体師さんに“グキッ”“ゴキッ”とやってもらい、“ぐえー”“ひえー”とうなったりしているのがいいのだ、と思っている。しかしあるとき、予約外で訪れた私に、たまたま空いていた女性の先生が割り当てられた。この人は女性としては体格がよく、腕や指も仕事柄発達しているようなのだが、女性らしくよくしゃべる人で、おしゃべりがあまり好きではない私は、正直ちょっと“困ったなー”と思った。だってオレは闘うおじさんなんだ。おしゃべりをしに来たんじゃないんだ。遊んでいる暇はないんだぜ。

この先生はいろいろと身の上話をしながら私の話も聞きたがり、人当たりは大変良い。そして私の頸や腰を眺め、撫でまわし、押したり引いたりして、“ものすごいことになっている”“何か特別な仕事をしているのですか”“どうしたらこんなになるのですか”などとおっしゃる。そりゃあそうだ、交通事故なんだから大変なことになるのは当たり前だ。オレはほとんど殺されそうだったんだから。それで頸や腰の傷んでしまったところを撫でたり、押したりしていろいろと調べている。数か所、いろいろと大変なことになっているらしい。“背が高い”とか“首が長い”とか驚いている。それはそうだろう、オレはこの辺では有名な?巨人なんだから。しかしそうされているうちに、頭がぼうっとしてきて、なんだかだんだん気持ちが和んできた。この人の手は、いわゆるオネイチャン的な手ではなく、骨ばってごつごつとしており、指の腹なんかはガサガサだ。まあそれは商売柄仕方がない、というか、そうならざるを得ないように思うのだが、オネイチャンと仲良くして喜んでいるのとは違うのだ、ということが言いたい。オネイチャンによしよしされて、鼻の下を伸ばしているわけではない、ちょっと違う気持ちよさなのだ、とここで強調しておきたい。

そして彼女はぶつぶつとあまり意味のない話をしながら、あまり力を使わず、撫でるようにさするようにマッサージを進めていく。“ゴキ”も“グキ”もなしだ。てこの原理みたいな感じで、有効に力を使っているようだ。この辺になると私は、半分睡眠状態で、自分がどこにいるか、何をしているのかわからなくなってしまう。人の世話ばかりしてきた人間なので、どんな形であれ、自分が世話をしてもらう、ということには若干のためらいがあるのだが、ことここに至り、なんというか“アキラメ感”に身をゆだねるしかなく、そんな不思議な感覚にいつしかどっぷりと浸ってしまうのだった。この人の手には、なにがしかの力が宿っているようだ。まあ、日常的に複数の女性になでさすられる経験をしているわけではないので、比較の対象は非常に限られているのではあるが。

先生を選べと言われれば今でも迷わず大柄な男性の整体師さんを選ぶと思うのだが、女性の先生に整体をしていただくのも、大変いいものだと納得した。怪我をした人を世話することを、“手当て”という。薬ではなく、手術ではなく、やはりすべての基本は“手当て”なのだなあ、と、最近この年になって、目を開かされた思いだ。

怪我であれ何であれ、精一杯感じて、考えて、楽しむことは大切なのだなあ、意味のあることなのだなあ、としみじみ思った。人生に無駄など一秒たりともないのだ、と説教する人がよくいるが、それはほんとうなのかもしれない。しかしそんなことばかり考えていると、神様のような人になってしまうような気がする。それはちょっとやばいので、ほどほどにしておこう。